プロジェクト区分 | フルリサーチ(FR) |
期間 | 2022年04月 - 2025年03月 |
プロジェクト番号 | 14210146 |
研究プロジェクト | フューチャー・デザインを通じた持続可能社会実現のための未来ビジョンの形成と多元的共存 |
プロジェクト略称 | フューチャー・デザイン |
プロジェクトリーダー | 中川善典 |
キーワード | フューチャー・デザイン、サステイナビリティ・トランジション、レジーム |
研究目的と内容
サステイナビリティ・サイエンスの分野において、ビジョンを形成することが重視され、多くの研究や実践が蓄積されてきた。これは、持続可能な社会の実現のためには社会変革が必要であり、人々を動機づけるビジョンはその変革のための原動力になると考えられているからである。実際、持続可能ビジョンについてのレビュー論文においてWiek and Iwaniec (2014)は、持続可能ビジョンが満たすべき基準として10個を列挙したが、その中の第九の基準として「Motivationalであること」、すなわち、変革に向けて人々を動機づけること、というものを挙げている。しかしながら、ビジョンをどのように形成すればよいのか、ましてやMotivationalなビジョンをどのように形成すればよいのかについて、理論に基づいたガイドラインを提唱するような研究は非常に限られていると言われている(van der Helm 2009)。 Motivationalなビジョンの形成が困難である理由は明白である。企業ビジョンの研究においてConger(1991)が述べているように、ビジョンとは物の見方を提示するものである。よって、その作成には高い洞察力と芸術的なセンスを要するため、作成手順をマニュアル化しにくいからである。
ただ、Motivationalなビジョンを形成することが困難である背景には、もう少し本質的な理由もあると考えられる。「Motivationalであること」という基準が、「Shareされること」(=ステークホルダー間で合意されシェアされること)という、Wiekらが掲げる別の基準と、トレードオフの関係にある、という背景である。ビジョンがmotivationalであればあるほど、それは社会の中で特定の価値観を持った一部の人たちにしか共有されず、社会変革には貢献できなくなる可能性が高まるという問題である。これと同様の指摘は、Wright(2010)によってもなされている。民間組織を対象としたビジョン研究は経営学の中に存在しており、一定の研究成果が蓄積されている。例えば、組織のリーダーが自分自身のビジョンを他のメンバーと共有することで、いかにリーダーシップを発揮するかについての研究群がある。こうした研究が可能なのは、民間組織の文脈では、ビジョンが一部の人たちにしか受け入れられないリスクを、原則的には考える必要がなく、上記のトレードオフの問題を考える必要がないからである。実際、リーダーのもつビジョンを共有できないメンバーは、その組織から脱退するというオプションを持っている。ところが、地域や社会全体の文脈では、状況が大きく異なる。だからこそ、サステイナビリティ・サイエンスの分野でビジョン形成の方法論を提案した論文や、その方法論を現実の場面に適用した論文の殆どにおいて、多くのステークホルダーや市民の意向を反映させたビジョン形成をすることを重視するあまり、”visionはmotivatingでなければならない”という要件が完全に無視されている。Iwaniec and Wiek (2014)でさえ、アリゾナ州フェニックス市のGeneral Planをアップデートするための持続可能的なビジョン形成の実践結果を報告する中で、この要件に一切言及していない。彼らは一連のワークショップを実施し、その中で参加者たちにグループ討議をさせながら、フェニックス市のビジョンを検討した。Iwaniec and Wiek (2014)は、こうした個々のグループの討議結果の中から、vision elementと彼らが呼ぶ要素を抽出し、それらを統合してvisionを形成した。そのvision elementとは、例えば「責任ある水資源利用」「歩行者利便性向上」「アーバン・ヒートの減少」などである。こうして形成されたビジョンは、様々な政策分野の論点が網羅され、かつそれらの関係がシステム論点な観点から把握されているという点で、完成度が高い。しかし、個々の討議者が、どのような思想のもと、どのような文脈の中にvision elementを位置付けたのかを完全に無視し、vision elementだけを機械的に抽出するような手続きによって形成されたビジョンが、motivatingになることは、まったく期待できない。このような残念な手続きは、サステイナビリティ・サイエンスの分野で広く採用されている。このような方法論的欠如がある状況では、持続可能な社会への変革がうまく進まない。
以上の背景を踏まえた本プロジェクトの目的を以下に述べる。当初、フューチャー・デザインを用いて、「Motivationalであること」と、「Shareされること」とを両立させるようなビジョンを形成するプロセスをモデル化することを、プロジェクトの主要目的と据えていた。ただ、この1年間、FRを実施する中で、この目的は若干の変更を要する必要性を感じた。その理由は二つある。第一に、ビジョン形成は閃きを要する作業であり、特定のプロセスを踏めば必ず成功するといった類のものではない。第二に、ビジョン形成者がたどり着いた閃きが、散文の形式を持ったビジョンのまま、社会の多くの人にshareされることは難しい。それより、その閃きとは、一体どのような新しい物の見方に関する閃めきなのかを特定し、それを表現する概念を提示するという戦略のほうが、より有望である。そこで、次のように目的1~目的2を再設定したい。
目的1 フューチャー・デザインの手法を使った参加型ビジョン形成のための討議を行い、その結果の中から、将来世代の利益に資する社会の姿を現す概念(=新しいものの見方)を抽出する手法を提唱する。
目的2 目的1で言及されたような形で持続可能社会実現に資する諸概念が、社会の様々なアクターによって提唱され、それらが社会に蓄積されることが、社会の変革へと繋がる道筋とは具体的にどのようなものか、また、そのような変革を促進するための制度とはどのようなものかを明らかにする。
これら二つの目的はフューチャー・デザインの方法論の構築に関わるものである。一方、本プロジェクトは戦略プロジェクトとしての役割も担っている。そこで、次のように目的3を設定する。もちろん、目的1を実践する上でも、目的3に言及されるような他プロジェクトとの共同作業は必要であるが、目的3はそのような共同作業を意味するのではなく、プロジェクトの運営のためにフューチャー・デザインを活用しその効果を見るものであるから、目的1とは別の目的として明示することとした。
目的3 Sustai-N-ableプロジェクト(林健太郎教授)を実験フィールドとし、実践プロジェクトの運営においてフューチャー・デザインがどのように活用され得るか、そして、どのような影響を実践プロジェクトに与えうるかを明らかにする。
目的4 既に終了した複数の実践プロジェクトをサンプルとして選び、それを事例として方法論的な知見を生み出すための学術研究をプロジェクトリーダーと共同で実践することを通じて、地球研が総合地球環境学を構築するためのシステムを提案する。
なお、目的1~目的2、目的3,目的4の間には、どのような関係性があるのかが、上記においては明示されていない。実際、現時点でその関係性は中川自身にも理解できていない。ただし、これは、戦略プロジェクトというものの地球研における位置づけの曖昧さを反映したものであると考えている。戦略プロジェクトとして、一間独立に見えるこれら3群の目的それぞれを達成することには意義があるものと考えており、これらは独立したものとして研究を遂行するが、3年間のFRの終了時には、プロジェクト全体を俯瞰しながら両者の関連性についても説明できるようにしたい。
本年度の課題と成果
本年度は、プロジェクトの目的をより洗練されたものへと発展させるとともに、構成され直した目的1~目的4のうち、目的1「討議結果の分析手法の開発」と目的4「終了プロジェクトとの共同」の二点を重点的に行った。そこで、その二つについて、本年度に行ったことを順に述べてゆく。
まず、目的1とは、「フューチャー・デザインの手法を使った参加型ビジョン形成のための討議を行い、その結果の中から、将来世代の利益に資する社会の姿を現す概念(=新しいものの見方)を抽出する手法を提唱する」というものであった。これについては、二点の研究を進めた。それを(1)(2)として順に述べる
(1)フューチャー・デザイン討議の質的分析
「1」で述べた通り、これまでのサステイナビリティ・サイエンスにおけるビジョン研究では、参加型で行われたビジョニングの作業の中から、いかに参加者の独創性を特定し、それを成果として抽出するかについての方法論的な検討が十分になされてこなかった。中川のこれまでの経験によれば、ビジョニングのための討議の参加者は、Wiek and Iwaniec(2013)が言うところのvision elementの考案において独創性を発揮するのではなく、一見したところ無関係なvision elemen同士を結び付ける際に独創性を発揮する。既往研究は、それぞれの討議の中から、文脈を無視しつつvision elementを抽出することに専念してきたのであるから、参加者の独創性がそぎ落とされてしまうのは、当たり前のことであった。
これに対して、当プロジェクトが着想したアイデアは、討議参加者が複数のvision element同士をどのように繋ぐことを発見したかを特定し、その繋ぎ方を直接的に反映した概念を開発するというものである。そのことを、以下では具体例とともに説明する。
2022年4月22日、林健太郎氏と松八重一代氏がオンラインにてフューチャー・デザイン討議を行った。その時の討議課題は次のようなものだった。
あなたたちは、タイムマシンに乗って、そのままの年齢で2051年にタイムスリップし、そこで暮らし続けることになりました。2021年当時に作成された「秋鹿資料」には、「わが国はまずはエネルギーキャリアとしてのブルー・アンモニアを活用し、次いでそれをグリーン・アンモニアに置き換えつつ、温暖化ガス排出削減と国内エネルギー供給とを両立させる」という道筋が描かれていました。2021年の人たちは、これをはじめとする様々な道筋への分岐点に立っていました。それから30年経った2051年の今、社会がどんな姿になっていて、あなたはどんな暮らしをしていますか。
その討議を分析した結果、作成されたビジョンの文章の全文を図2に示す。この文章を見ると、第1段落~第二段落で「サステイナブルな窒素利用のシステム」および「サステイナブルなエネルギー利用のシステム」に言及されていることが分かる。これらは、Wiek and Iwaniec(2013)が言うところのvision elementであると言ってよいだろう。そして、これらのvision element自体は、特段目新しいものではない可能性が高い。それよりも、この班で独創性が発揮されたのは、これら二つのシステムには接点があること、そして「アンモニア燃焼技術」がその接点であることを発見した点においてである。この発見を表現するために、中川は「サステイナブルな窒素利用システムとエネルギー利用システムを橋渡しするアンモニア燃焼技術」という概念を特定した。
ただし、一般に、このような短いフレーズを提唱するだけでは、概念を開発/提唱したことにはならない。質的研究(より正確には、その中の最も代表的な方法論であるGrounded Theory Approach; GTA)は、概念を開発することを最終的な目標としている。そして、概念を開発するに際してのガイドラインが確立されている。そこで、FR2年目以降は、そのガイドラインに則った形でビジョニングの討議から概念を抽出する方法論をより精緻化していく。本年度の最大の成果は、ビジョニングの研究においてGTAを使用することが出来ることを発見したことである。
(2)フューチャー・デザイン討議の人工知能分析
本プロジェクトが始まる以前、中川はビジョニングのための討議の流れを可視化することで、そのグループにおいて独創性が最も発揮された時点を特定し、それを踏まえてビジョン文章を作成する方法論を開発していた。本年度、上の(1)で触れた図2のビジョンも、図3のようなダイアログマップを手作業で作成することを経て執筆された。図3においては、1番から106番までのノードがある。これは、討議の書き起こし結果を、中川自身が話題の転換点を境界として106個の切片に分割した、その一つ一つの切片に対応している。また、あるノード(Aとする)から別のノード(Bとする)への矢印は、Aの発言を受けてBの発言がなされたと、分析者(この場合は中川)が解釈したことを示している。
このダイアログマップの作成は、非常に時間を要する作業であり、また書き起こし結果の深い読解を必要とするため、汎用性の高い方法であるとは言い難い。そこで、人工知能を用いてノード間の関係性を自動的に抽出してダイアログマップを作成し、それを用いて人間がビジョン文章を作成するという新しい方法を、今年度開発した。討議の書き起こし結果からビジョン文章を得る一連のプロセス(①切片化⇒②ノード間の関係性の定義⇒③ネットワークの可視化⇒④ビジョン文章の作成)のうち②と③が自動化されたに過ぎないが、それでもこれは大幅な労力の削減をもたらす技術革新である。
なお、この人工知能を用いたダイアログマップの自動作成は、大阪大学の松井孝典助教との共同研究によって実現した。持続可能社会に関する大量の文書を学習した人工知能によって、106切片の中の任意の二つの切片ペアの類似度の強さを数値化した。そして、類似度の総体的に高いペアを特定することで、ノード間の矢印を定義し、ダイアログマップを作った。その結果を図4に示す。また、この図4に基づいて人間(今回の場合、中川)がビジョン文章を作成したが、その結果を図5に示す。
人間が作成したダイアログマップと、AIを用いて作成したダイアログマップとの間に、どのような差異があるかを見出すことは、FR2年目以降の重要な課題である。より具体的に言うと、AIに特定できる「切片間の関係」とは、類似性のみである。その一方、人間にはもっと多様な関係性を感知する能力がある。そのような関係の多様性を無視したダイアログマップがどのように活用できるのか、次年度以降に検討したい。
次に、目的4に関する成果について述べる。本プロジェクト開始当初、フューチャー・デザインの手法を使って異なる実践プロジェクトのリーダーたちが協同で一つのビジョンを作ることを通じて、実践プロジェクト同士の総体的な位置関係を明らかにし、総合地球環境学の構築に寄与しようと考えていた。そこで、令和四年度第一回終了プロジェクトセミナーに参加した3人のリーダーのうち下記の二名と、Sustai-N-ableプロジェクトリーダーの林健太郎氏を合わせた3名にご協力を賜り、フューチャー・デザイン討議を実施した。
・湯本貴和先生(プロジェクト名「日本列島における人間―自然相互関係の歴史的・文化的検討」2006年~2010年)
・羽生淳子先生(プロジェクト名「地域に根ざした小規模経済活動と長期的持続可能性―歴史生態学からのアプローチ」2014年~2016年)
しかしながら、この試みは必ずしも成功したとは言えなかった。3つのプロジェクトのテーマの間にはかなり大きな隔たりがあったため。3人が協同で一つのビジョン(2050年の社会像)を形成しようとすると、3つのうち1つのプロジェクトの延長線上にあるビジョンを描こうと、残る2人が歩み寄らざるを得なくなったからである。これは、各プロジェクトのビジョンを専門外の研究者の助けを借りてより豊に描くためには有効であろうが、知の統合のための方法論としては、十分に十分に機能を発揮でいないと判断した。
このような経緯があり、第二回終了プロジェクトセミナーの参加者である先生方に対しては、別のアプローチをとることとした。すなわち、「プロジェクトリーダーとして地球研に関わった経験とは、自身の人生の中にどのように位置づけられる、どのような経験であったか」を明らかにするために、各リーダーに個別にインタビュー調査を行うこととしたのである。これによって目的4を実現するだけでなく、終了プロジェクトセミナーにおける討議の設計に有用な知見を得ることを目指した。
なお、第2回終了プロジェクトセミナーに参加された3先生のうち、白岩孝之先生については紙面の都合上 「2.」で言及できなかったので、本欄でその要旨を述べる。白岩孝之先生は、将来、北海道が日本の過疎地・お荷物として存在するのではなく、日本に貢献する自立した存在になっているため、北海道が中国、ロシアと貿易や人的交流の面でつながりを強化する必要があると考えている。そして、学問的に北海道の意味づけを行い、そうした繋がりの強化に貢献することが、学者の役割だと考えている。実際、白岩プロジェクトの成果も、北海道、中国、ロシアをつなげるストーリーを提供しているようにも解釈できる。ここから、「特定地域に固有の自然科学的な現象の解明がその地域に社会的意味づけを与え、社会に影響を与えるプロセスとはどのようなものか」というリサーチクエスチョンが設定できるであろう。これが条件1~条件5を満たすかどうかは未検証であり、次年度以降の課題である。
本年度の反省点の一つは、プロジェクトメンバーとの連携が十分に取れなかったことである。本プロジェクトはフューチャー・デザインというやや特殊な方法論の開発を目的としている。また、地球研内において、知の統合化のための貢献をすることが要請されている。そのようなプロジェクトにおいて、所外のメンバーである研究者たちの専門性が最大限発揮されるような関係性とはどのようなものであるかについて、中川が明確にイメージをすることができなかったからである。
ただ、この問題については、今後の二年間で解決するための道筋がある程度見えている。本年度、目的4を設定したことで、本プロジェクトが終了プロジェクトとどのような関係を構築するべきかが明らかになった。その終了プロジェクトの一つである村松伸氏のプロジェクト「メガシティが地球環境に及ぼすインパクト」(2014年度終了)に加藤浩徳氏(東京大学)がいたが、この加藤氏が本プロジェクトのメンバーにもなっている。そこで、目的4で行う終了プロジェクトの事例研究のうち最も主要なものとして村松プロジェクトを選定し、メンバーとの協働関係を強めていきたい。
今後の課題
次年度を含めた各年度の実施計画については、その概要を図1に示す。
より具体的には、目的1については、ビジョン文章を作成し、そこから汎用性の高い概念を取り出すための方法論開発を完遂する。また、その手続きをどこまでAIで代替できるのかについても明らかにする。
目的2については、リサーチクエスチョンに答えを与えるための討議実験をデザインする。その実施はおそらく最終年度に持ち越しとなるだろう。
目的3については、引き続きSustai-N-ableプロジェクトの進捗と並行しながら、進めていく。
目的4については、次年度の終了プロジェクトセミナーに参加するすべてのリーダーに対してインタビューを行う。
目的1~目的4の中で、実行可能性に関して最も大きな不確実性があるのは目的4であろう。中川が終了プロジェクトに対して提案するリサーチクエスチョンに答えるための研究を共同で行うことについて、終了プロジェクトリーダーからの合意を得られるかが未知数だからである。これについては、石井励一郎氏の協力を仰ぎながら酒井章子プロジェクトとの連携を強めたり、加藤浩徳氏の協力を仰ぎながら村松伸プロジェクトの連携を強めたりするなど、連携できる終了プロジェクトとの連携を強めていく。