プロジェクト区分 | フルリサーチ(FR) |
期間 | 2019年04月 - 2027年03月 |
プログラム | 実践プログラム2:多様な資源の公正な利用と管理 |
プロジェクト番号 | 14200145 |
研究プロジェクト | 陸と海をつなぐ水循環を軸としたマルチリソースの順応的ガバナンス:サンゴ礁島嶼系での展開 |
プロジェクト略称 | LINKAGEプロジェクト |
プロジェクトリーダー | 新城 竜一 |
URL | https://www.chikyu.ac.jp/rihn/activities/project/project/12/ |
キーワード | サンゴ礁島嶼系、陸と海をつなぐ水循環、自然資源の利用と管理 |
研究目的と内容
1)目的と背景
LINKAGEプロジェクトでは、西太平洋の熱帯・亜熱帯にあるサンゴ礁島嶼系において、人々が水資源や水産資源、森林資源などの島嶼の限られたマルチリソースを持続的に利用しながら、気候変動や社会経済の変化に対応できる、レジリエントな自然共生社会を実現するために必要な順応的ガバナンスの在り方を明らかにすることを目的とする。
豊かなサンゴ礁の海を育む島々は、熱帯~亜熱帯にかけて広く分布している。サンゴ礁島嶼では水は大変貴重で、そこで暮らす人びとは昔から地下水や湧き水といった限られた水資源を工夫しながら大切に利用してきた。水は資源として人びとの暮らしに密接に関連する一方、その形態を変化させながら循環しており、陸と海とをつなぐ媒体としての役割も担っている。島嶼では陸と海をつなぐ水循環のスケールが小さく、私たちの生活の糧となる海洋資源を育むサンゴ礁生態系もこの水循環を介して陸と密接につながっている。このようなサンゴ礁島嶼系では、地域固有の生物や文化の多様性も育まれてきた。しかし、近年、土地利用や社会経済の変化の影響を受けて、島嶼の水資源の枯渇や水質の悪化が生じており、水循環を介してサンゴ礁生態系の劣化を引き起こす要因にもなっている(図1)。さらに、気候変動に伴う降水パターンの変化や海面上昇、海洋酸性化、海水温の上昇も、状況の悪化に拍車をかけている。サンゴ礁島嶼に住む人びとが、脆弱性の高い水資源や水産資源、森林資源などの島嶼の限られた自然資源(マルチリソース)を持続的に利用していくためには、気候変動や社会経済の変化に対応可能な順応的ガバナンスの強化が必要である(図2,3,4)。
具体的背景について以下に述べる。
・ 世界的な化学肥料使用量の増加によって食料生産が大きく向上したが、特にEUや日本などの先進国では過剰施肥が顕著となった(西尾,2002)。日本では1961年から1973年にかけて水稲以外のその他の作物における化学肥料の消費量がうなぎのぼりに増加した。琉球弧の島々においてもさとうきび栽培が促進され化学肥料による過剰施肥が進行し、地下水中の硝酸性窒素濃度の上昇など水環境の富栄養化等の一因となっている。
・ さとうきび栽培と黒糖製造は、江戸時代島津藩の税制度の強化により生産が拡大し、明治以降には奄美・沖縄を代表する一大産業に発展した。第二次世界大戦後も国内甘味資源強化や糖価調整制度などの振興政策や、1960年代の大旱魃による自然災害の被害を受けて、かつてない速度と規模をもって稲作からサトウキビ耕作へと生業転換した(農畜産業振興機構,2002など)。例えば与論島では1960年代まで天水田による稲作栽培があったが、1962 年の大型製糖工場設立と1963年の大旱魃により、水依存の少ないサトウキビ畑への転換が進んだ。沖縄県においても、さとうきびは、台風、干ばつ等の自然災害に強く、基幹作物として県全域で栽培されており、特に、離島地域では離島経済を支える極めて重要な作物となっている。
・ 化学肥料、化学農薬や大型機械などの普及によって農産物輸出国における穀物生産が飛躍的に向上した。その結果、安い穀物を輸入して、生産性の高い畜産が先進国や国内で急速に進展した。1961年に公布された農業基本法は、輸入飼料に依存した畜産を振興し、畜産は生産性を上げるために、耕種農業と切り離されて専作的に拡大した。その結果、循環利用されない家畜ふん尿が畜産農家に滞留するようになり、環境問題として深刻化した(西尾,2005)。
・ 1997年から1998年にかけてエルニーニョの影響で全世界的に海水温が上昇し、1998年夏、琉球列島全域で大規模な造礁サンゴ類の白化現象が発生した。その後、サンゴの被度は回復傾向にあったものの、2016年、2022年と大規模白化が頻発している。
・ 水資源や森林資源など、生存するために必要な資源に乏しい島嶼地域では、希少な自然に対して、多様なものを「資源」として価値づけし、食料源や建築材、薬用など「恵み」として利用するための在来知や言語を豊かに発達させ、それらを人間生活に有用なものへ価値変換させる技法を編み出してきた。このような人々が生存基盤として育んできた文化多様性と、生物多様性の相互作用を「生物文化多様性」という。近年、地球規模の生物多様性保全や環境問題の解決において、地域や国境を越えた国際社会の連携がより一層求められる一方で、長年人間と自然とのつきあいの中で培ってきた知恵や技法/技術、経済的な慣行、世界観などの文化的な価値の重要性の認識が高まっている。1992年6月ブラジルで開催された国連環境開発会議(地球サミット)では、特定地域に限らず、グローバル社会との連携の中で生物多様性をとらえる「生物の多様性に関する条約(Convention on Biological Diversity)」が採択された。この条約には、生物多様性の保全だけでなく、資源利用に関する伝統文化の保護と、利益の衡平な配分など、人間活動の文化と社会の持続可能性が明記された。その後、このような地域固有の生物多様性と文化多様性の相互作用は、Mafiiらの研究によって生物文化的アプローチから明らかにされてきた。そして、生物文化多様性理論は、国連環境計画(UNEP)、国際自然保護連合(IUCN)、国連教育科学文化機関(UNESCO)等において、生物多様性の保全、持続可能な開発、人間の潜在能力の発揮に関連する概念として注目されるようになった(Maffi 2010, Hong 2014, Wantzen, et al. 2023)。
・ 沖縄の生物多様性は、サンゴ礁や亜熱帯の森林という多様な生態系が複雑に絡み合う、日本列島でも固有の豊かさをもつ。しかしながら、その豊かな自然は、特に戦争や戦後の米軍基地建設、1972年の日本復帰後の乱開発、都市化、観光産業等の人間活動がもたらす大きな危機に直面してきた。これらの危機は、健全な生態系の損失だけではなく、自然資源を「リソース」として多面的に捉えて価値づけし、資源利用の知識と技法の多様さを創造する人間らしく生きること(ヒューマニティーズ)の危機ともいえる。
以上を背景として本プロジェクトでは、1)各種の安定同位体、環境トレーサー、メタゲノム解析によって陸と海の水循環を介したつながりを自然科学的に明らかにし、気候変動や社会経済の変化によるマルチリソースの応答を把握・予測する。2)歴史生態学的アプローチにより、島の暮らしの中で育まれてきた自然の文化的な価値やつながりや多様性を明らかにし、資源の限られた島嶼コミュニティでの生存基盤の維持機構を解明する。さらに、3)行動科学やマルチレベルの制度分析により、ローカルなガバナンスとグローバルなガバナンスを繋ぐ意識と制度の変遷や重層性を明らかにする。また、4)順応的ガバナンスでは、知識(科学的、地域的、政策的)の橋渡しを重要な構成要素ととらえ、それらの関連性を可視化することで新たな価値観の創造や科学知と地域知の統合を試みる。これらの成果により、サンゴ礁島嶼系において気候変動や社会経済の変化に対応したレジリエントな自然共生社会の実現に貢献することを目的とする。
2)地球環境問題の解決にどう資する研究なのか
対象とする地球環境問題は、1)水資源および関連するリソースの枯渇や汚染、2)水循環を介して生じるサンゴ礁生態系を代表とする沿岸生態系の劣化、3)社会経済に対する沿岸生態系の生態系サービスの低下の3つである(図3)。マルチリソースの島嶼社会における順応的ガバナンスという切り口で、水循環が速いサンゴ礁島嶼系を、地球環境変動や人為的影響が最も現れやすい実験場と位置づけ、最新の科学的知見と、規範などを基にした伝統的な知見が、どのように地域の知と行動変容に関連するかを明らかにする。沿岸域を含めた水資源の利用と管理に関して、脆弱な島嶼地域において有効となる順応的ガバナンスが提示される。学術的な研究成果を様々なセクターの人々と協働するアクションリサーチをとおして、随時、地域社会に還元し、ステークホルダー間の合意形成に必要な規範生成プロセスを解析・探求することで、地球環境問題の解決に資することが期待される。
3)研究手法・構成・ロードマップ
LINKAGEプロジェクトは4つのユニット(自然システム・生存基盤・ガバナンス・知の橋渡し)からなる(図5)。自然科学、人文科学、社会科学の各分野で行われている各種の研究手法を採用する。また、それらの知見を統合し(データの可視化など)、さらに社会との協働(アクションリサーチ、サマースクール、円卓会議など)にも積極的に取り組む。その際、対象とする地球環境問題に応じてユニット間で連携体制をとることにより、地球研が目指す「超学際的研究」を展開する。
研究対象地域を、メンバーの研究実績と経験、地域との繋がりに基づいて、琉球弧の島々(与論島、沖縄島、多良間島、八重山・石西礁湖など)、パラオ諸島、およびインドネシアのワカトビ諸島に設定する(図6)。これらの島々は、地形・地質的特性(高島と低島)、水資源の存在状態、沿岸生態系の特性、保護区の有無、社会・産業構造の違い、経済状況の違いなどの各種のパラメータを用いた分析から、多様な島嶼の特性を示している(図7)。それぞれの島の特性を視野に入れて、共通項と個別項を整理しながら研究を進める。
各ユニットが取り組むロードマップを図9に示した。
4)期待される成果
LINKAGEプロジェクトでは「水資源」とこれを軸として関連するリソースも含めて熱帯・亜熱帯島嶼におけるマルチリソースの利用と管理(ガバナンス)に必要な順応的ガバナンスを明らかにする。陸と海の水循環を介したつながり、生物と文化の多様性なつながり、意識や制度などの重層的なつながり、それらを統合したときに見出される新たな知見が多面的な選択肢の提案につながることが期待される。持続可能・再生可能な自然資源の利用に対する価値や行動の転換についても新知見を提供する。
5)研究組織
LINKAGEプロジェクトは4つのユニット(自然システム・生存基盤・ガバナンス・知の橋渡し)で構成される(図5)。
●自然システムユニット(Natural system Unit, NU):本ユニットでは、島嶼での水循環を介した陸と海のリンケージに関連した研究を総合的に進めるため、水文学、地質学、地球化学、古環境学、サンゴ礁生態学、バイオミネラリゼーション、環境ゲノミクスなどの多様な専門性を有する研究者でユニットを組織した(図8)。特に、サンゴ礁海域での地下水をとおした海底底質に蓄積された陸源栄養塩がサンゴの生育にどのように影響するのか、飼育実験を専門とする若手研究者をメンバーに加えた。本ユニットは、多分野の研究者が一斉に参加できる総合的な現地調査を重視している。さらに、できるだけ学部生や院生も参画させて、多分野からなる地球環境学研究の教育効果の向上にも留意した。
●生存基盤ユニット(Community Capability Unit, CCU):本ユニットでは、人間と自然との関わりとその変遷を多面的に捉えるため、研究者だけではなく、多彩な専門性や経験を持つメンバーから構成され、文化人類学や民俗学、音楽学などの人文学系だけではなく、地理学や生物学、人文情報学などの自然科学系や情報学系の研究者、さらに自然とともに生きる文化継承を基盤とした地域づくり等に取り組むNPOやコミュニティ博物館、自治体関係者、地元研究者等の多彩なバックグラウンドを持つメンバーから構成される。2021年度には地球研と韓国・国立木浦大学校 島嶼文化研究院のMoU締結により、アジア・太平洋島嶼研究の第一人者であるSun Kee Hong教授にCCUメンバーとして参画いただいている。
●ガバナンスユニット(Governance Unit, GU):本ユニットでは、サンゴ礁島嶼系におけるローカルなガバナンスとグローバルなガバナンスの連関を研究するため、制度分析の研究者と意識調査の研究者でユニットを組織した。各研究者はこれまでに、環境ガバナンス、地下水ガバナンス、自然保護区、生物多様性、行動科学の分野で研究実績を有する。
●知の橋渡しユニット(Knowledge-bridging Unit, KU):上記の各ユニットをつなぎ、さらに多様な主体と調査・研究の成果を共有し、協働した取り組み(参加型アクションリサーチ)へ展開するため、効果的なコミュニケーションの手法や教材開発等の実績のある人材を加えた。沖縄やインドネシアで草の根的な環境保全活動を展開しているNPO法人もメンバーに加えた。
●インドネシアでは、2021年にMoUを締結した Halu Oleo University(HOU)と自然科学系の研究者チームと主体として協働体制を構築しつつある。さらに2023年5月にコアメンバーを中心にワカトビ県を訪問し、ワカトビ県開発局・環境局の行政従事者と、Institut Teknokigi Dan Bisnis Muhammadiyah Wakatobi(ムハマディヤ工科ビジネス大学ワカトビ校)と意見交換を行った。この話し合いにより、2022年に前者と2023年に後者の組織と地球研とでMoUを結んだ。
●パラオについてはJICAやJIRCASと意見交換を行い、現地パートナーを検討中である。
本年度の課題と成果
1)研究プロジェクト全体のこれまでの進捗
サンゴ礁島嶼地域では、グローバル化や科学技術イノベーションによる産業構造の変化や気候変動などの外的要因による影響で、環境負荷が増大し水環境やサンゴ礁生態系が劣化してきた。同時に島内では、生業の変遷や社会変容により引き起こされるコミュニティの社会文化的な生存基盤の低下等が、水資源などのマルチリソースの持続可能な利用を脅かしている。LINKAGEプロジェクトの目的は、こうした島嶼内外の脅威に対し、資源の限られた島嶼コミュニティで水環境・水循環やサンゴ礁生態系のレジリエンスを高めるため、マルチリソースをめぐるアクター間の多様な知の「学びあい」を軸として、陸と海とに跨って存在するマルチリソースのガバナンスを順応的に構築することである。本年度までの進捗は次のとおりである。
1. グローバル化や科学技術イノベーションによる産業構造の変化や気候変動による影響
・ グローバルな地球(海洋)環境の変化、および島嶼の陸と海のつながり(土地利用の変化と海洋環境の変化)を解明するため、2022年度に与論島のリーフ内で掘削したサンゴ(マイクロアトール)の骨格年輪の分析を進めている(業績72, 73)。シャコガイを用いた古環境解析も進行中であり、14C年代測定を終了し化学分析を進行中である。
・ 琉球弧の島々では畜産排せつ物の野積みなどの不適切な管理がみられ、これらが環境負荷となり、また運搬システムの未整備やさとうきび栽培における堆肥利用の難しさ等から、畜産排せつ物の循環利用が進んでいない現状が明らかとなった。自給型堆肥肥料の開発について環境省の2024年度環境研究総合推進費への申請とあわせて検討を開始した。
2. 環境負荷の増大による水環境/サンゴ礁生態系の劣化
・ 陸と海の水循環を介した繋がり:サンゴとリン濃度の関係解明
陸域由来の栄養塩が沿岸域のサンゴなどの海洋生物の成育環境に及ぼす影響が懸念されており,これまでも多くの研究が行われている。本プロジェクトでは,コユビミドリイシの稚ポリプを用いた飼育実験で飼育海水中に溶存するリンの濃度が2 µMを超過するとサンゴの骨格形成が困難になることを明らかにした(Iijima et al. 2021)。さらに、飼育海水量を増やすとリン酸濃度が0.5 µMでもサンゴの骨格形成を阻害することが明らかとなった(業績97)。農業活動(化学肥料・畜産廃棄物)や家庭からの生活排水・汚水処理水に由来する人為起源のリン酸塩は、土壌に吸着されるため石灰岩帯水層中では輸送されにくいと考えられてきた。しかし、石灰岩地域における地下水調査の結果,陸域から過度に供給されたリン酸塩が地下水経由でサンゴ礁海域へ供給されていることが明らかになった(図13, 業績97)。飼育実験の結果を考慮すると,サンゴが着底している岩盤や底質は石灰質であることから,陸域からのリン酸負荷は海水による希釈効果が小さいリーフ内のサンゴの骨格形成を阻害している可能性が高い(図12)。本プロジェクトでは、陸域からのリン酸塩が底質に吸着し蓄積している「蓄積型栄養塩」という新たな影響評価指標を提案した。環境省も関わる石西礁湖自然再生協議会では陸域負荷対策ワーキンググループが発足し、重点的に取り組む課題として「蓄積型栄養塩」がモニタリング項目として採用された。
3. コミュニティの社会文化的な生存基盤の低下によるマルチリソースへの影響
資源の限られた島嶼コミュニティでは、人々は自然に地域固有の意味を与え、工夫を凝らしながら利用してきた。しかし、後継者不足や生業転換などにより、在来知や技法の継承のみならず、食糧や素材となる魚介類や動植物そのものの減少も危ぶまれている。また、水道インフラ整備により、湧き水の生活用水としてのニーズや信仰が希薄化すると、地下水に対するコミュニティの共有資源としての認識が薄まることが指摘された(業績17)。そこで本プロジェクトでは、自然と人間の営みの相互作用を生物文化多様性と捉え、社会文化的な生存基盤とマルチリソースの利用の関係性を明らかにするため、地域の人々との対話やアクションリサーチをとおして、島嶼社会では、1)どのように生物資源を利用してきたのか?(生業の変遷、社会変容、イベント)2)どのように自然を認識しているのか?(民俗知、言語、ナラティブ、身体技法、道具・民具等)3)自然との関わりをめぐる人間の表現活動は、社会の持続可能性に対してどのような役割を担うことができるのか?(自然観、伝承、うた、スケッチ等)4)どのように自然利用をめぐる社会的調整をおこなってきたのか?(社会組織・モラリティ・規範・レジリエンス等)5)地域主体の経済の仕組みを支えるものは何か?(島嶼間ネットワーク分析、モーラルエコノミー、物々交換等)の研究課題を探求し、各島の共通項と個別項を検討してきた。具体的には高島と低島ごとの生物文化多様性の特性と時空間的な変容を明らかにするため、文献調査や共通調査票に基づく地域住民参加型の広域調査を行い、それらの成果をデジタルマップに集約する。調査では在来知などの自然の道具的な価値だけではなく、可視化されない感性や世界観、音楽、社会的な規範等など、島嶼の「自然」の価値や知、技法等の多様さと豊かさを明らかにしてきた(業績2,44, 65)。収集された多様な資料やデータを異なるアクターや世代間で橋渡しするとともに、島の個別項と共通項を明らかにするためのコミュニティアーカイブ構築に向けた基礎作業や、ツールや場づくりを行ってきた(ブックレットや古写真展、アート展示)。2022年2月の春合宿では韓国のSun-Kee Hong教授も参加し、琉球弧にくわえてアジア・太平洋島嶼における生物文化多様性研究の動向について広く情報交換を行い、島嶼生態系保全と社会文化的な生存基盤の理論的枠組みと個々の研究テーマの位置付けについて議論と課題の整理を行った(図15)。また、行動科学の観点から、自然保護区に関する意識調査、コロナ禍の人の移動に関する意識調査に関する意識調査を日本で実施してきた。
4. マルチリソースの順応的ガバナンス
本プロジェクトの目標は、グローバルな都市化、科学技術イノベーション、気候変動などの外的要因に対し、環境負荷の緩和により水環境や生態系を回復させること、多様性の向上により社会文化的な生存基盤を回復させること、そしてグローバルなショックへのレジリエンスを向上させることである。ここでは、マルチリソースの順応的ガバナンスに係る「意識」「組織」「規範」に関する課題を示しながら本プロジェクトの成果を記載する。
意識:学びのツール/コンテンツの作成
・ 学びのツールとして、3Dプロジェクションマッピング(P+MM)の開発と活用を進めている(図16)。P+MMは3Dの地形模型上にプロジェクションマッピングによって様々な情報を投影することができる可視化ツールである。2022年度は、沖縄本島南部地域を対象としたP+MMを完成させ、地域の人々との意見交換会などで本ツールを活用した。参加者がP+MMを自由に操作し活発な議論が実現できた。多分野の研究者と地域の人々との双方向の学びを実現することから、プロジェクトのめざす「可視化による科学知と地域知の統合」において貢献できる。
・ 地域とのコミュニケーションのツールとして、LINKAGEブックレットシリーズを刊行している(表1)。
組織:学び合いの場の形成
・ 与論島では科学的な知見を地域住民と共有する環境教育イベント「みずのわラボよろん」を実施している。2022年は与論島周辺海域の古環境復元のために実施したサンゴ掘削への参加と勉強会を実施し、身近なサンゴから古環境を復元できることを学んだ(図17)。
・ 八重瀬町では、流域協議会の組織化やステークホルダー間の対話・協働の促進を目的として、多様な関係者が参画し、水資源に関する地域円卓会議を2回開催した。(各テーマは9を参照)
・ 対話による表現の場づくりとして、八重瀬町において農家さんや学生、商工会議所、都市住民などとともに、環境に配慮した食と農を学び実践する「みずのわカレッジ」を実施している。2024年3月の収穫祭に向けて、毎月の畑作業や流通先の開拓に取り組んでいる。
規範:学び合いから行動変容へ:本プロジェクトの成果として、蓄積型リンがサンゴの骨格成長を阻害することが明らかとなったが、現在、国内外においてサンゴ礁海域を対象とした環境基準はない。海洋基本法においても陸と海とのつながりは意識されておらず、サンゴ礁海域は意識されていない。また、海への影響の大きい農村農地整備事業では沿岸海域への環境配慮は意識されているものの、サンゴ礁生態系の保全を対象とした事例はない。水循環に関連した制度の代表的なものとして統合的水資源管理がある。国内でも2015年に水循環基本法が制定され、地下水が公共用水として認識されるなどの重要性が示されたが、沿岸海域は対象として含まれず、海洋生態系保全は対象とされていない。これらの、陸と海を一体としてとらえた(意識した)環境問題や資源管理のあり方について議論を深めることが課題である。
理論化:順応的ガバナンスと地下水ガバナンスに関するシステマティックレビューを進めた。
2)研究目的、手法、組織体制の変更・見直し(該当の場合のみ)
行動科学的なアプローチから実施した意識調査により、地下水の不可視性に関する研究の必要性が明らかになったため、複数国を対象とした国際比較研究を実施することに変更した。
3)本年度の成果
1. グローバル化や科学イノベーションによる島嶼地域の産業構造の変化や気候変動による影響
・ 与論島のサンゴのコア分析から、過去300年にわたるリーフ内の環境変化が明らかとなった。サンゴコアの炭素同位体の変化は産業革命以降の大気中二酸化炭素の増加の傾向を示した(業績73)。
・ 空中写真、リモートセンシングデータ、GISを利用し、与論島での土地利用の変化とサンゴ被度の変化の関係を分析した。
2. 環境負荷増大による水環境/サンゴ礁生態系の劣化
・ 与論島のサンゴのコアの分析では、リン等の栄養塩の微量元素分析により陸域負荷の影響把握を試みている(業績72)。
・ 陸水のホウ素同位体分析のための簡便なホウ素分離技術を開発した(業績20)。これを用いて各島の地下水中の負荷源(化学肥料や堆肥)の寄与率を求め定量的評価を行った(図10; 業績87, 98)。また窒素・酸素同位体を用いた負荷源の推定法についても新知見を得た(図11; 業績25)。
・ 石灰岩帯水層への塩水侵入や海底地下水湧出(SGD)に伴うリン酸などの溶質濃度の変化をみるため、与論島東海岸で潮位変動に応じた電気探査、海底地下水湧出の流速の連続観測を実施した。さらに、海底底質の間隙水を採取しリン酸濃度の分析を行った。SGD速度の最大値は55.2 cm/secで既報告をはるかに超える値であった。これはサンゴ礁島嶼系での地下水経由の陸域負荷量の管理の重要性を示している(業績78)。
・ 石西礁湖で蓄積型リン濃度とサンゴの被度や藻類などの生物相と比較した結果、蓄積型リンと稚サンゴ密度とは負の相関があり(図14)、統計的手法で閾値を0.62 µg/gと算出できた。この閾値を目標とした陸域負荷を設定することでサンゴ被度の回復が期待できる(業績97)。
・ 沖縄島南部、与論島、黒島にて3次元水循環モデルを構築し、観測結果を基に高精度化を試みている(業績77)。
3. 島嶼社会の生物文化多様性等の低下によるマルチリソースへの影響
自然の価値の多様性と生物文化多様性に関する議論:地域の⽅と⼀緒に、⾃然とともに⽣きてきた知恵や暮らしの移り変わりに関する歴史⽂化資料の収集と記録に取り組み、島の未来のあり⽅を考える市⺠参加型の協働研究を行なった。高島と低島でのフィールドワークや研究会での議論から、「生態系サービス」や道具的な価値に留まらない、自然を恵みとして享受する一方で、畏れの対象として信仰する世界観や景観などの自然の価値の多様性が明らかになってきた。たとえば、森林資源に乏しい低島で薪材として利用した植物種や地域性、有毒植物の毒性を生かした魚毒漁、ソテツの毒を抜いて食糧に価値変換する在来知と技法など、マルチリソースの利用の実態を明らかにしつつある(業績2、業績41)。さらに伝承や世界観など、人々が暮らしの中で価値づけする方法は言語やナラティブだけではなく、唄や音などのサウンドスケープやスケッチなど多様に表現される。表現の多様性を理解するため、音楽家との協働調査による音の記録、島の女性の世界観を描いた絵画展を開催した。マルチリソースとの関わりの豊かさが明らかになる一方で、外部経済への依存の高い島嶼コミュニティでは、特に生業転換やライフスタイルの変化、後継者不足、人口減少などから継承の危機に直面していることがわかった。一方、担い手不足を補うために、これまでの在来知や技法等を編み直し、少人数でも効率的に活き餌となる魚種を捕獲するための新たな漁具を創造する動きもあることがわかった。これらの成果を国際誌に「Biocultural diversity and Islandness」特集号として刊行し、国際シンポジウム第10回東アジア島嶼海洋文化フォーラムで発表する(2023年12月、業績54)。
水循環に関する意識調査:2023年3月、47都道府県庁所在地の住民2,496名を対象として、地下水資源の不可視性の影響と、そのメカニズムを解明することを目的としてフレーミング実験を行った(調査の概要は図20を参照)。参加者をランダムに2つのグループに分け、それぞれ地下水および河川に関する質問群を提示し回答してもらった。詳細は分析中だが、主要な結果として河川水に比べて地下水は(おそらく不可視であるが故に)関心を持たれにくいことが明らかとなった(図21)。
4. マルチリソースの順応的ガバナンス
意識:学びのツール/コンテンツの開発
・ 与論島(海域も含む)を対象としたP+MMの開発を進めた。地形模型の作成とオープンデータ(地形、地質、航空写真、土地利用など)は組み込み済みで、来年度はLINKAGEの成果を組み入れる。「みずのわラボよろん」では、島の成り立ちを学ぶ地質巡検(ジオツアー)を実施した。さらに、沖永良部島でも小学生向けの地質巡検を実施した(図18)。
・ 「地域の自然を生かした環境教育」をブックレットとして発刊した(図19)。八重瀬町の小中学生への環境教育の一環として取り組んだ「みずのわサマースクール」の活動と、学校教育で地域の自然をフィールドとして活かしてもらうための指導案と教材を提案している。さらにLINKAGEブックレットシリーズを2つ刊行予定(表1)。
・ 収集した古写真を活用したカードゲーム「今昔貝合わせ」とナラティブの可視化を行なっている。
・ コミュニケーションツールとして、地域住民の方々と共同でオリジナルボードゲームの開発を進めている(業績83)。
組織:学び合いの場の形成
・ 環境省が事務局を務める石西礁湖自然再生協議会において、本プロジェクトから提案した「蓄積型リン」がモニタリング事業の調査項目として採用され、プロジェクトメンバーが発起人となって陸域負荷対策ワーキンググループが発足した。
・ 地域住民参加型の「島の自然と暮らしのゆんぬ古写真調査」では、2024年1月に図書館とのコラボワークショップ、2月に第3回古写真展(2024年2月、鹿児島県与論町)を開催予定。写真資料を用いた対話を多世代で行い、島の自然の価値や行動のエピソード(ナラティブ)等の個別性と集団性、世代やアクター間の差異を比較検証する。
・ 与論島では地元のNPOを中心として学校での海洋教育に提案するための教材開発(島の成り立ちの教材化)を行なった。
・ 石垣市・竹富町・那覇市教育委員会と共催で「八重山の学校の稲作体験学習サミット(オンライン授業)」を企画し、JAも協賛して参加児童全員にお米1キロを贈呈した(11月24日)。田んぼをとおして水循環を考える機会をつくった。
規範:学び合いから行動変容へ
与論島では地下水中の硝酸性窒素濃度が1997年頃から減少傾向にあり、2022年にはピーク時の半分の濃度まで減少している。対策として実施されてきた農業の施肥方法の改善、家畜排せつ物対策、生活排水処理対策の効果と推測される。これまで地域住民が主体となってサンゴ保全に向けたプロジェクトやNPOが発足され、研究機関による結果報告会等がおこなわれてきた。これら活動が地域住民の規範を変化させ、効果的な硝酸性窒素汚染対策に対する行動変容を促したと考えられる。
これまでは地球温暖化によるサンゴの大規模な白化は陸域負荷と関連づけられていなかったが、本プロジェクトで提案した「蓄積リン」とサンゴの白化割合の上昇との関連性があることが、石西礁湖自然再生協議会を通じて、多様なステークホルダーに伝えられた。その結果、石垣市にサンゴ保全対策を目的とした部局横断チーム「シンサンゴレンジャー」が発足した。サンゴ礁生態系の劣化と陸域負荷の関係性の科学的根拠が明らかになったことが、行政レベルでの行動変容への結びついたと考えられる。
理論化
・ 順応的ガバナンスのシステマティックレビュー:適応的ガバナンスの事例研究のメタ分析を進めた。2023年9月までに目標の約32%が完了している。コーディングが完了次第、詳細な分析を進める予定である。詳細は9を参照。
・ 小規模島嶼地域を対象とした順応的ガバナンスのシステマティックレビュー (Christmas et al. 投稿中): 43の査読付き論文を対象に、小規模島嶼における順応的ガバナンス研究のシステマティック・レビューを行った。詳細は9を参照。
・ 階層性/多層性は順応性を高めるのか? 現時点までの研究成果をもとに順応的ガバナンスの観点から仮説的に整理した(業績81)。詳細は9を参照。ローカルな知識が、県の保全政策に活用された具体例として、沖縄県における生物文化多様性研究の成果が、生物多様性基本法に基づく県の「地域戦略」の環境評価項目に活用されたプロセスを明らかにした(業績19)。今後、その環境評価の活用と他地域との比較等、詳細な検討を進める予定である。
4)目標以上の成果を挙げたと評価出来る点
・ サンゴ礁生態系の劣化と陸域負荷の関係の科学的根拠が明らかになったことが学びあいの場で共有され、石垣市サンゴ保全チームの結成など、プロジェクトの成果が行政レベルの行動変容に結び付いたことは目標以上の成果を上げたと評価できる。
5)目標に達しなかったと評価すべき点
HOUおよびワカトビ県とMoUを結び、ベースラインサーベイを実施しているが、地下水の流量・流域・水資源量の把握などで日本側への協力要請があった。これに応えるべく、外部資金獲得もあわせて調査ツールの整備と調査ビザの取得を進めている。
6)実践プログラムへの貢献について特筆すべき成果・課題
LINKAGEでは、サンゴ礁島嶼を陸と海を統合したシステムとしてとらえ、そのなかに存在する様々な閾値と連環を明らかにし、レジリエントな社会の構築に貢献することを目指している。これは谷口プログラムの方向性と合致している。価値観や行動の変容を促すコミュニケーション・ツールの開発も積極的に行っており、この点でも貢献できる。また、LINKAGEでは自然システムと人間社会の相互作用環の観測・観察・モニタリングを重視しており、この点でも谷口プログラムに貢献できる。
今後の課題
・協働の場づくり:サンゴ礁海域を含めた資源利用や環境問題に関して、島ごとに住民の意識(規範)に温度差がある。島のサンゴ礁保全などの共通の目的に向けた活動では、多様なステークホルダーの協働が必要である。八重山諸島では石西礁湖自然再生協議会などの多様なステークホルダーが協働で取り組める仕組みがあり、LINKAGEが活動を展開あるいは支援できる「場」が構築されている。しかし、そのような「場」が存在していない島がほとんどであり、まずは「場づくり」をどのように進めるかが課題として浮かび上がってきた。与論島では役場の各課との関係を深めながら、モニタリングや解析結果を可視化し、情報共有と相互理解を深め、さらにMoUを結び、住民サイドでの取り組みも強化しながら、行政や住民の方々との共通の課題を共有することができる「場づくり」を目指したい。
・海外展開における、研究資金の不足。ワカトビでは現地のカウンターパートから、地下水資源量の正確な把握、沿岸集落の井戸水への塩水侵入のリスク管理など、高度な観測機器を用いた地下水の基礎調査が求められている。電気探査などの機材の準備や解析に必要な専門家の派遣、広域調査に関わる旅費・人件費、観測井の設置などには想定以上の多額の研究費が掛かるため、どこまで現地の要望に応えられるかが課題である。そこで、補完のために、大型の外部資金の確保に務めている。具体的には、旭硝子財団の「ブループラネット地球環境特別研究助成」に応募し書類審査はパスしている。さらに、APN (Asia-Pacific Network for Global change research)の次年度Scientific capacity development (CAPaBLE)プログラムにLINKAGE研究員を中心としてパラオを研究サイトとするプロポーザルを申請予定である(12/10締め切り)。